愛するということ

「例え、望が何をしたとしても、
逆に、何もできなかったとしても、
私は望を愛するよ。
だってそれは、望が望だから。」
この言葉が、私の根幹にずっとある。
今から9年前。
私が23歳の冬、
友達からもらった言葉。
その当時の私は、少しばかり
悪いことをしていた。
道徳的な罪というか、人を感情的に
傷つけるような事をした。
だから私も傷ついたし、自分を深く責めた。
でもその友達は、
私の行動を全て知っても、
その裏にある本心や痛みを見抜いて
私をまるっと受け入れてくれた。
行動が、その人の評価や価値を
必ずしも決めるものではない。
それ以前の、もっと大前提の、
そもそも生きていることに価値があり
善悪や陰陽の両方を、不足を、未熟さを、
過ちを、そのまま受け入れる。
その上で、ダメなものはダメという。
愛とは、そういうものだ。
という、本質的で、それ以上にない、
とても大切で、必要なことを、
その年齢で知れた私はラッキーだし
こんな愛のある言葉をくれた友達には、
感謝しかない。
その友達の、この言葉が
私の深い深い部分の苦しさを溶かして
“私は受け入れてもらえるんだ”っていう
とてつもない安心感を与えてくれて
今も自分の存在証明になっていて
今の私の、人との関係創りの土台になってるから。
・・・やしさ、
人の不足とか見ると、可愛くない?😸
ほんっっと、普通こんなことする!?
こんなこともできないか?!
なんでもっと、素直になれんの?!
っていう、人間の不完全さって
私からしたら、アホすぎて可愛い。笑
まあ、その時は一瞬だけ
腹立ったりするけど。笑
だから私は、自分のことも、他人のことも、
なんとも憎めず、
なーんか、可愛くて仕方なくて
この人に何かしてあげられること
ないかなぁ?
って、考えたくなるんだ。